曹洞宗 圓福山 豐川閣妙嚴寺 豊川稲荷東京別院
http://www.toyokawainari-tokyo.jp
〒107-0051 東京都港区元赤坂1-4-7
江戸時代、大岡越前守忠相公が信仰していた
豊川稲荷の分霊を祀っています。
明治20年に、赤坂一ツ木の大岡邸から現在地に移転し、
愛知県豊川閣の直轄の別院となり、今日に至る。
大岡廟
曹洞宗 圓福山 豐川閣妙嚴寺 豊川稲荷東京別院
http://www.toyokawainari-tokyo.jp
〒107-0051 東京都港区元赤坂1-4-7
江戸時代、大岡越前守忠相公が信仰していた
豊川稲荷の分霊を祀っています。
明治20年に、赤坂一ツ木の大岡邸から現在地に移転し、
愛知県豊川閣の直轄の別院となり、今日に至る。
大岡廟
曹洞宗大本山總持寺 写経&精進料理
同じ、写経でも、さすがに大本山たくさんの方が参加されています。
まさに、老若男女 様々な方が参加されていますね。
この写真のあと、ほぼ席は、埋まりました。
京都旅行の際に、写経を経験されている方も多いかと思いますが、
実は私、写経なるものうまれて初めてです。
けして、精進料理が食べたいだけで、
食べログ的な発想のみで、参加したわけでは、断じてありません!(笑)
そこまで不信人でありません。
椅子座禅のあと 写経が行われます。
なかなか、墨汁をつけながら、筆で一文字一文字
静寂な、ひと時です。
入試の時期も終わりですが、そんな雰囲気を懐かしみながら、
時間が過ぎていきます。
書き終えて、祖先の供養のために、納経していただきました。
總持寺は広いので、別の建物へ会場を移動して、お待ちかねの精進料理です。
豪華です。これで、肉魚一切使っていません。
精進料理の基礎を築いたのは道元禅師といわれています。
總持寺では修行僧が料理を作ります。
坐禅や作務(掃除)と同じように、料理を作ることも、
食べることも仏道修行のひとつとされているからです。
地球上のありとあらゆるものに命があり、植物にも命があります。
ですから、感謝の心を持って、
その「命をいただく」ことを意識しながら料理をし、食べてい頂きたいと思います。
曹洞宗大本山總持寺のwebサイトより、転載させていただきました。
私の余計な説明ですと、邪念があり失礼なので、その方が正確ですよね。
この箸の置く場所や向きにも意味があるのです。
記念に、この箸は、いただいて帰れます。
デザートもあるのです。
最後に、ご飯を食べたお椀にお茶を注ぎ、漬物の一切れを使い、すべてのお椀を洗い、
重ねていくのです。
昔のお膳に、食器を片付けるのと同じですね。
好き、嫌いとか、今時そんなことはしないとか、余計なことを言わないで、
日本人なら知っておくべき、事項なのでしょうね。
50を超えると、そんな事も考えるようになります。
それにしても、
最近つくづく思うのは、
現政権の、「金持ちの、金持ちによる、金持ちのための政治」を、
何とかしないとなぁ~
曹洞宗 江戸三ヶ寺 萬松山 泉岳寺 (http://www.sengakuji.or.jp/)
港区高輪にあり、忠臣蔵 赤穂義士の墓地があることで知られています。
江戸時代初期に建立された、曹洞宗のお寺です。
江戸府内にある曹洞宗寺院を統括した、「江戸三箇寺」
總泉寺(板橋区小豆沢)、青松寺(港区愛宕)、泉岳寺(港区高輪)
青松寺と泉岳寺の付属の学寮が発展して、曹洞宗大学(駒澤大学)となった。
1832年に再建された、「山門」 さすがに趣あります。
「山門」と「中門」の間と言うか、山門のわきに、
「大石内蔵助吉雄銅像」が、あります。
立派な「本堂」です。
本堂には、ご本尊 南無釈迦牟尼佛があります。
本堂の左側には、澤木興道老師像があり、
本堂右側で、御朱印がいただけます。
この写真の奥の門をくぐると、赤穂義士墓地
手前の左には、赤穂義士記念館
右側の講堂の2階には、義士木像館
血染の梅、血染の石、首洗い井戸 もあります。
さすがに、写真は控えておきます。
忠臣蔵 赤穂義士の墓地
忠臣蔵 赤穂義士の墓地です。
様々な近隣や都会の寺社の大人の都合で、
雰囲気や景観を損ねる悲しい現状があります。
ビルの合間にある、寺社仏閣の古くからの建造物、
日本には、景観を維持する法律が制定されない、寂しい國ですね。